__ 折々の偶感 __

龍野と三木露風

赤とんぼアニメーション

 神戸に住んでいた頃はよく龍野を訪れた。龍野は脇坂藩の城下町であり、武家屋敷や白壁の土蔵が今なお残る「播磨の小京都」と言われている。揖保川の清流や古い街並みが、町の歴史と相俟って豊かな詩情を湛えている。
 また、龍野は「揖保乃糸」で馴染みの手延べそうめんや関西の薄味を代表する淡口醤油の特産品でも有名である。
 民俗学者の石毛直道は著書「食いしん坊の民俗学」で‟そうめん″は奈良時代に誕生した日本の保存食で、三輪そうめんを嚆矢とし、伊勢参りの人たちにより西国各地に広がったと述べている。小豆島そうめんや九州にも佐賀そうめんがある。しかしながら全国版は三輪そうめんと揖保そうめんである。さらに石毛直道によると、伝統的な日本の食文化は極めて特殊な価値観に支えられている。すなわち、「料理しないことを料理の理想とする」食文化である。日本料理では、素材の持ち味をそのまま生かすことに全力投球する。板前にとって料理の技術よりも大切なことは、材料の吟味なのである。料理によって複雑な味や、新しい味を引き出すよりは素材の持ち味を損なわないように努めることであると言っている。そしてこのような、日本料理の特殊性を育て上げた要因の一つに、醤油と味噌という素晴らしい調味料があったことを挙げている。
 また、龍野は詩人で童謡作家の三木露風の生誕地でもある。龍野公園に露風の有名な 「赤とんぼ」の歌碑が建っている。この歌は、大正十年に作られたもので、露風が函館のトラピスト修道院で、窓の外の竿にとまっている赤とんぼを見て、故郷の龍野での幼いころの思い出を詠ったものである。七歳で別れた母への哀愁や、子守娘に背負われて夕焼け空のもと、広場で遊んだ情景を詠んだものと露風は書いている。
 この詩が詠まれたころは、世にいう大正デモクラシーの時期である。鈴木三重吉、三木露風、北原白秋などが、当時の俗悪な子供向けの出版物に対する反発や、西洋の真似に始まったといわれた明治の初めの唱歌から、滝廉太郎や山田耕筰の出現によってやっと日本の歌が作れるようになったのに、明治末に文部省が時代に逆行するような尋常小学唱歌に切り替えようとしていたことに疑問を持ち、創作童話や子供が「口ずさめる」童謡の必要性を感じていた。こうした機運の高まりの中で、漱石門下の鈴木三重吉が大正七年に童話童謡雑誌「赤い鳥」を創刊し、三木露風の強い支援もあって情熱をもって日本の童謡運動を推進した。この赤い鳥を中心に、当時白露時代ともいわれた三木露風、北原白秋をはじめ西条八十、野口雨情、泉鏡花など多くの作家が従来にない新たな「幼な心」を対象にした子供文化を開花させていった。そして山田耕筰、成田為三、中山晋平、弘田龍太郎などが作曲していった。こうして生まれた童謡が、カナリヤ・赤とんぼ・雨・十五夜お月さん・七つの子・赤い靴・青い目の人形・浜千鳥・春よ来い・あの町この町などなど、今でも愛誦されている童謡である。
 喜寿を迎え、親しかった畏友が鬼籍に入る年代になった。良き過去の想い出を懐かしむことが多くなった。。


平成28年小正月   K治 著